猫背気味のアイドル

振り回されるのは嫌いなほうではない。

でも想像以上に「じゃに」のアイドルの動向を見守るのは気苦労と体力がいるのだと知った、この一年。
チェックする事柄が多すぎるちゅう贅沢な悩みと追っかけきれないジレンマと。
だって今まで若干マイナーな人しか好きにならなかったんだもの。楽だったよー。

でも今年は楽しかったな。

「すごく善なるものを共有する空間があり、心に温かいものが残る。それでいて宗教ではない。世界に誇れるエンターテイメント」
CMディレクターのNAKAJIMA SINJIさんが日経エンタで語った嵐コンへのコメントはまさに的を得ている。
陰陽師」に出てくる阿倍晴明の親友、源博雅は、音曲を愛し、もののけの吹く笛に「いい音色だなぁ」と涙したりする、馬鹿がつくほど実直で、恋愛にもうとい。
しかし、彼が月が綺麗だなぁ、笛が吹きたい夜だなどと笛を吹き始めると、悪霊さえも恨みの心を鎮めたりするのだ。
しかもそのパワーを持っていることを彼は気づかない。「なぜ悪霊は退散したのだ?」などと阿倍晴明に目をぱちくりさせながら尋ねたりする。
晴明は「それでいいのだよ博雅」などと笑ってみせる。私はこの博雅が大好きなのだ。
そして博雅が嵐に重なることがある。それが彼らがそうしようとして意識しているわけではなく、彼らが歌ったり踊ったりすると、その空間が澄んだものに変わる気がする。魔物でさえ微笑むような。ステージの上には、なんの脅しもない、悪意もない、際物もない、本人たちが気がつかないような、周囲に振りまく善なるもの。

「君たちはそんな「力」を持っている一種の奇跡のグループなのだよ、嵐くん」

その中の猫背気味のアイドルについては年内に書く(つもり)